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浅見貴子「松の木 muison-so」(第五回日経日本画大賞展)を観て

「松の木 muison-so」(2010)の画像はこちら。

浅見貴子さんの作品を見て感じるのは、動き、もしくは時間と言ってもいいかもしれない。それも一方向的なものではなく多方向的。そういった意味で、浅見さんの作品は樹を描いていても枝が基本となっていて、幹を描いていないというのが大きいのではないだろうか。

描かれているのは樹ではあっても、画面構造的には単純なツリー状になっていない。幹という中心的な一本の線があり、そこから枝分かれてしていくという構造ではなく、ただ多層的な枝の絡み合いによる様々な方向へのリズムだけがある。大きな点の連なりのリズム。小さな点のリズム。様々な墨の濃度の枝の流れ。などなど。

それらが重なり合って複雑な画面を構成していく。だが、層になっていると言っても、単純に上から下へと固定的に重なっているのではなく、ある時はこの層が視線のうちに現れ、また別の時は違う層が現れる、という形で上下の層が時に応じて位置を変えながら顕在化してくるのである。画面をじっと見ていると、そうしたリズムや流れの中に観者自らが巻き込まれていくような感覚を受ける。本物の樹を見ているときの、光や風によって生じる枝や葉のさざめきも感じられるように思えるくらいだ。一瞬一瞬新たな出来事が起こりその都度画面が変容していくという感覚。それはマイケル・フリード的な現存性 presentness のように瞬間ごとに全体性が現れるのではなく、視線を動かすごとに新しい要素が出現することによって、むしろ逆に全体性の不可能性、画面の汲み尽くせなさようなものが一瞬一瞬感じられるということだろう。そのような多方向的な動きやリズムのなかに巻き込まれること、それが浅見さんの作品を観るという体験ではないだろうか。

第五回日経日本画大賞はすでに終了しています。
浅見貴子さんの個人サイトはこちら。
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