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「浅見貴子ー光合成」アートフロント・ギャラリー

アートフロントギャラリー(代官山)で行われた「浅見貴子ー光合成」展に行ってきた。大原美術館でのレジデンスで制作した新作など、旧作の小作品を含めて十五点あまり展示したとても充実した個展だった。浅見さんの展示はここ数年可能な限り観ることにしている。多摩美の日本画出身で、ジャンルで言えば水墨画にあたるのだが、日本画だとか水墨画だとかいう分類は(少なくとも僕にとっては)どうでもよくて、絵画を鑑賞する際の充実した体験を味合わせてくれる作品を描いている現在数少ない作家だと思う。
 
一見抽象的な絵に見えるが、よく観察すれば分かるように基本に樹木をモチーフとしている。即興的に感情に任せて描いているように見えるかもしれないが、事前に周到なデッサンをした上で本番の作品に取り掛かっている。そして水墨画という観点から特徴的なのは、最近の作品では紙の裏から墨で描いているということだ。したがって、油絵などとは異なり、最初に墨で描いた部分が表からは画面の一番手前に来て、後から描いた部分は画面奥の方に現れる。さらに、裏から描くので、表から見ると像が左右反転した形になる。いちいち表に裏返して確認することはできないので、左右反転した像がどのように見えるか、墨の染み込み具合が表からどのように現れるかということは完全にはコントロールできない形で描かれていくし、むしろその制御不可能性を浅見さんは積極的な条件として捉えていく。

浅見さんの絵を観てまず眼に付くのは大小様々な墨点だろう。木の葉を表しているようにも見えるかもしれないが、特に具体的な物を表象しているわけではないという。墨点が画面のなかでリズムを刻んでいて、そのリズムに誘われて観者の視線は画面の上を進んで行く。墨点の大きさは様々であり異なるスケールのものが混在しているので、最初は大きな墨点に注目していても不意に異なるスケールの墨点に眼が誘われていったり、さらには白抜きの同じような点や墨で描かれた樹の枝もあるので、突然現れる曲がり角のように視線がふと違う方向へ道を逸れていったりもする。異なる層にあるものや異なるスケールのものが一つの平面に混在していて、画面の上を視線がたどっていくごとに、エンドレスに思いもしないものへと眼が誘われていくのだ。視線がたどっていた層がいきなり異なる層へと反転し、さらにまた違う層へ反転していく…

今回の個展では十年以上前の小作品や四曲一隻の屏風絵など様々な作品が展示されていたが、もっとも惹かれたのは大原美術館のレジデンスの際制作された「景 muison-so」(2010)という205×75cmのかなり縦長な作品。そんなに多くの作品を観ているわけではないので確かなことは言えないが、これほど縦長の作品は浅見さんの中でもあまりないのではないか。墨の点が画面の大部分を覆っているほぼオールオーバーの作品なのだが、何度も言っているように画面が縦長であるために少し離れても一度に画面全体を視野に入れることができず、観者は何回も視線を画面上下に走らせることを強いられる。その時間性のなかであたかも薄い麻紙の内部を走査していくかのように視線が画面をたどっていくことによって新たなる空間性が観者によって築かれていくのだ。その空間性は決していつも同じものにはならなくて、観る仕方や観者によって毎回異なる形で空間が立ち現れるだろう。画面が縦長であることによってその時間性がより明確になり強調されるように思われる。
展示はすでに終了しています。

浅見貴子さんの個人サイトはこちら。浅見さんの作品を観られます。でも、実際の作品を観ないとなかなかその良さは分かりませんが。
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